青ゲットの殺人事件とは?イラスト付きで解説します
どーも、林檎鰐(ringo82)です。
今回は、妖怪赤マントのモデルにもなった
「青ゲットの殺人事件」
をイラストで分かりやすく紹介していきたいと思います。
始まり
午前5時頃、青いゲットをかぶった35歳くらいの男が問屋を訪ね、番頭の加賀村吉(30)に
「近所の叔母が病気になったので来てくれ」
と言いました。
(しかし、当時は防犯カメラがないため
男の容姿はよく分かっていない)
この時は大雪だったので村吉は男を信用し、
付いていきました。
その後も同様の手口で村吉の自宅から
母・キク(59)
妻・ツオ(25)
も連れ出し、次女(2)も連れ出そうとしたものの、妻が連れ出される前に隣家の女性に留守番・子守りを頼んでおり、その女性は男との応対で次女の連行を拒否し、次女は助かりました。(長女は子守りとして他家にいたため留守だった)
遺体発見
男に連れ出された3人はその後、いつまでたっても戻りませんでした。
そこで調べたところ、新保村(昔、福井県坂井郡にあった村です)の親戚に誰も病人はおらず、使いの者を頼んだ事実もないことが分かりました。
三国警察署(現・坂井西警察署)におかれた捜査本部は、九頭竜川一帯の捜査を行い、村吉家裏手の竹田川に係留してあった小船の船べりに、血痕が付着しているのを発見し、引き上げられました。
すると、小船から少し下流の川底で、妻ツオの遺体が沈んでいるのが見つかりました。
さらに翌日、母キクの遺体が九頭竜川の河口付近に沈んでいるのが発見し、引き上げられたものの、村吉の遺体はその後の捜索でも発見されませんでした。
そのため、捜索本部の中でも「村吉犯人説」が取りざたされたものの、新保橋の血痕が1人分にしては多すぎることなどによって、村吉も殺害され遺棄されたという判断になりました。
推理、しかし・・・
状況や証言から捜査本部が見立てた事件の経過は
- 男は店から村吉を連れ出し、新保橋に差し掛かったところで殺害、川に落とす。
- 次に自宅を訪れ母キクを連れ出し、同じく新保橋で殺害、川に落とす。
- 続いて妻ツオを「舟で対岸の新保村へ渡す」と言って船べりに誘い出し、殺害して川へ遺棄。その後、娘も連れ出そうとしたが隣家の女性に拒まれて失敗。
というものでした。
捜査本部は男が一家を次々に連れ出して、残忍に殺害していることから、村吉に強い恨みを抱いた者が犯人の可能性があると推理しました。
しかし、村吉は真面目で酒も飲まず、よく働き、若くして番頭に抜擢されるなど大変評判は良かったのです。
結局、村吉を恨んでいる者を見つけることが出来ないまま、捜査は暗礁に乗り上げ、そのまま進展することなく1921年に時効を迎え、迷宮入りになりました。
真相判明?
ところが、事件から20年過ぎた1926年12月12日、京都府警に窃盗の罪に逮捕されていた窃盗犯、谷本仁三郎という男が、
「自分がこの事件の真犯人である」
と告白しました。
ところが、窃盗の前科が多数ある谷本が犯したとしては不自然な点が多かったのです。
- まず窃盗目的だとしても、このような手のかかることをする必要はない
- 強盗するにしても普通に押し入ればよく、複数回に分け連れ出して殺害する意味がない(事実、犯人は金品を盗ることが出来ないままに終わっている)
また、逮捕された谷本が証言した他の事件においても、
「でたらめを述べている節が2、3ある」
と警察が疑問を呈していることからも、谷本の証言は怪しく、真犯人とは考えにくかったのです。
しかし、すでに時効を迎え、捜査資料も散逸していたことから、結局真相は解明されないまま終わったのでした。
では、今回はこれまで。
青ゲットの殺人事件『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より
最終更新2020年10月12日(月)12:20 UTC
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